鳥取県日野郡日南町 — 中国山地・山陰の谷から
育み3000
昼と夜の温度差が、甘さになる。この谷で、トマトを育てています。
農業法人 育み3000 / 日南トマト生産者
育み3000について
この谷で、トマトを育てる会社です
育み3000は、鳥取県日南町でトマトを育てる農業法人です。標高四〇〇から六五〇メートルの高冷地、 日野川の源流の谷で、夏から秋にかけての「日南トマト」を生産しています。
農業を、美談でも哲学でもなく、ひとつの営みとして続けています。異常気象や担い手の高齢化といった 現実に向き合いながら、家族とパートの方々とともに、この土地に合った規模で、無理のない経営を 組み立てています。中山間地の狭い土地だからこそ、施設栽培のトマトに絞る — それが、この谷で トマトを育てる理由です。
「育み3000」は、生まれ育った日南町の土地で、次の世代へ農業を育んでいく、という願いを込めた名前です。
トマトが育つ場所 — 気候
寒暖差 — 甘さは、気候がつくる
育み3000のトマトが育つのは、標高四〇〇から六五〇メートルの高冷地です。 トマトはもともと、アンデスの冷涼な高地に生まれた植物です。日本の平地の猛暑はトマトには過酷で、 夜も気温が下がらなければ、昼につくった糖を呼吸で使い果たしてしまいます。
お盆を過ぎれば夜は涼しく、ときに寒いほどで、昼と夜の温度差は一〇度を超えます。日中の光合成で つくられた糖は、冷えた夜に消耗をまぬがれ、果実に蓄えられていく。糖度が上がり、酸味との均衡がとれ、 果肉の締まったトマトになります。
出荷は七月から一一月。寒暖差が最も開く九月から一〇月、味の盛りを迎えます。
環境 — 春夏秋冬
蛍の飛ぶ、日野川の源流から
日南町は、日野川の源流の町です。町域のほとんどを森が占め、山の腐葉土を通った水が、 谷ごとの沢に集まって川になります。トマトのハウスを潤す水も、この源流域の沢水や湧水です。
- 春
- 雪解けの水が沢に集まり、川がふくらむ。骨組みだけで冬を越したハウスにビニールを張り、 畝を立て、晩霜の去るのを待って苗を植えます。
- 夏
- 夜、川辺に蛍が飛びます。澄んだ水と、涼しい夜。トマトは蛍が育つのと同じ環境のなかで実り、 夜明けとともに収穫が始まります。
- 秋
- 朝霧の谷が紅葉に染まります。昼と夜の温度差がいちばん開き、果実に糖が乗る。 味の盛りを迎える季節です。
- 冬
- 日南町は特別豪雪地帯。雪の重みからハウスを守るためビニールを外し、 畑は雪の下で春まで休みます。
土地の記憶
鉄を掘った土地が、トマトを育てている
この谷の山々は花崗岩でできています。風化した花崗岩 (真砂土) には良質な砂鉄が含まれ、 伯耆国日野郡は中国山地のたたら製鉄の一大拠点でした。砂鉄を採るために山肌を切り崩し、 水路で選り分ける「かんな流し」は、山を削る大規模な土木事業でした。
削られた跡の平坦地は、やがて棚田になりました。水はけのよい真砂土、日野川源流の清冽な水、 高冷地の寒暖差 — 米をうまくする条件が、そのまま残ったのです。 その棚田のいくつかに、いまトマトのハウスが建っています。
日野郡のたたらは大正期に火を落としました。鉄穴残丘や水路の跡は、いまも町内に残ります。
産地の歩み
転作の試験から、五十年
日南町のトマトは、昭和三〇年代に一部の農家の露地栽培から始まりました。雨による裂果と病気に 苦しんだ産地は、昭和四〇年代から雨よけハウスへ移行して品質を安定させ、栽培は町の全域に 広がります。平成三年には共同選果場が建てられ、一九九〇年代には大玉品種「桃太郎」を いち早く導入しました。
JA鳥取西部の共同選果場は、光センサーで糖度や熟度を非破壊判定します。生産者は収穫したトマトを コンテナごと持ち込み、選別と出荷を任せて栽培に集中する。この分業が産地の品質を支えています。
出荷先は関西と中国地方の市場が中心。「日南トマト」は基準を満たした果実だけの名前です。
- 昭和三〇年代露地栽培はじまる
- 昭和四〇年代雨よけハウスへ、町の全域に
- 平成三年共同選果場の建設
- 一九九〇年代「桃太郎」導入
- 二〇一五地域団体商標「日南トマト」登録
- 現在光センサー共選
代表
遠回りして、この谷に帰ってきた
育み3000の代表、松本恭平。整備士、カスタムショップの弟子、営業代行 — 車をめぐる長い遠回りの末に、 生まれ育った谷に帰り、トマトを育てる人になりました。ここでは、就農までの半生を記します。
生まれ育ち
松本恭平は、人口およそ三〇〇〇人の日南町に生まれ育ちました。実家は兼業農家。祖父は専業農家で、 七反の田んぼに牛を飼い、近隣の米の乾燥・精米・脱穀を請け負う作業受託 — いわば農作業の アウトソーシング — で三人の子を育てた人でした。小さな田んぼで専業が成り立っていた理由を、 恭平が知るのは帰郷してからのことです。
車に魅せられた少年
教室の同級生が芸能やヒットソングで盛り上がるなかで、恭平にはその話題がほとんど入って きませんでした。かわりに、自動車とバイクの情報だけは自然と入ってくる。偏った少年時代だったと 本人は言います。
挫折と、全振り
米子市の高校へ進むと、三〇〇〇人の町から一〇万都市の多様性に圧倒され、つまずきます。 高校の記憶は白黒だと振り返るほどでした。その反動で、好きな道に全振りして京都の自動車専門学校へ。 カスタムの世界に出会い、ここでようやく水を得ます。
整備士、そして「ここは俺の居場所じゃない」
親を安心させたい一心で日産のディーラーに整備士として就職。三年半勤めましたが、集団行動に なじめず、「ここは自分の居場所ではない」という感覚が消えませんでした。休みの日は自分の ガレージで車をいじり、いつか自営でやることを意識し続けていました。
無給の弟子、そしてグレートエスケープ
奈良のニッチなカスタムショップに「弟子にしてください」と頼み込み、ほぼ無給でバイトを 掛け持ちしながら三年。独立して「グレートエスケープ」の屋号を掲げますが、一年で資金が尽きます。 グレートエスケープが、エスケープされた — 本人はそう笑います。
原因から考える
なぜうまくいかないのか。整備士らしく「必ず原因がある」と根本から遡り、たどり着いた答えは 「仕事が取れないこと」でした。そこで営業代行の世界に飛び込み、仕事の取り方そのものを覚えます。 三〇歳ごろまで、営業代行を続けました。
帰郷、そしてトマト
三〇歳の年、父の異変と、祖父の「戻ってこい」の声、そして町の祭りが重なって、日南町へ帰る決意を します。生まれ育った土地でありながら、正規の研修生ルートを踏んで就農。そこでトマトと出会いました。 農業への負の記憶を抱えていた少年が、遠回りの末に、この谷でトマトを育てる人になったのです。
本項の経歴は、書籍 (トマト農業の実践本、刊行準備中) の取材インタビュー (2026年) に基づきます。 続きの物語 — 研修時代、法人化、経営の現在 — は書籍で描かれます。
会社概要
育み3000の仕事
この土地に合った規模で、無理のない経営を組み立てています。数字と現実に向き合いながら、 続けられる農業を目指しています。
- 商号
- 育み3000 (はぐくみ さんぜん)
- 代表
- 松本 恭平
- 所在地
- 鳥取県日野郡日南町
- 事業内容
- 夏秋トマト (日南トマト) の施設栽培・出荷
- 作付
- 大玉品種「桃太郎」ほか、施設栽培
- 出荷先
- JA鳥取西部 共同選果場を経て、関西・中国地方の市場へ
会社概要の詳細 (設立・栽培面積・雇用など) は準備中です。
就農・採用
この谷で、農業を始めてみませんか
日南町では、移住による新規就農者を受け入れてきました。過去一三年の新規就農者は全員が移住者で、 町・JA・県が一体の研修制度 (二〇〇九年創設) が、未経験からの就農を支えています。
育み3000でも、一緒にトマトを育てる仲間、この谷で働いてみたい方のご連絡をお待ちしています。
数値は農林水産省の普及活動事例 (令和六年) より。
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